書くこと
「お隣、いいですか?」って言ってみたら、新幹線で隣に知らない方が座っている時間が、楽になりました。
その一言しか交わさなくても、その一言を交わす大切さに気づかされました。
ブログを書き始めたきっかけのひとつは、「くらしのきほん」です。
『暮らしの手帖』や数々の著書でなじみのあった松浦弥太郎さんが、クックパッドに移籍してつくっているWebメディア。
このなかに、「夜のよみもの」という時間限定(夜8時から朝5時の間、読める)のコーナーがあり、
松浦さんが「泣きたくなったあなたへ」と題した文章を綴ってらっしゃるのですが、毎回、語りかけるような挨拶から始まります。
読者との距離、画面越し、文章越しの距離の取り方を、その時々に確かめながら書いていらっしゃるような出だしです。
定型文ではなく、それぞれの回で機微をことばにしてらして、ことばで仕事をするとはこういうことかと感じ入っています。
2016年2月29日現在、19まであるなかで、わたしは18の出だしが好きです。
紋切り型の挨拶や決めたルーティンをこなしていくことも、たまには必要かなと仕事を始めて思っていました。
でも、それでは面白くないな、ちゃんと時々に心も頭も動かしたいなと感じていました。
そんなとき、この文章が私のなかにあったスイッチをおし、「わたしのきほん」というサービスを開始することで、グググっと背中を押してきました。
(「わたしのきほん」は、120字で、「料理」や「恋愛」、「人生」などについての自分の基本を書くサービスです。まずは、自分のために。そのうちに、公開・シェアされる形で、いろんなひとの「きほん」も掲載されていくようです。)
最初の「わたしのきほん」を書こうと思ったら、120字に収まらなかった。
書きたいから書いています。
まずは自分のために。
漂う、あふれる、記憶
病室の祖母は、わたしをお稽古のご友人だと思ったらしい。
何度も呼んだように、わたしを呼ぶことはなく、
「あなた」と話しかけた。
おばあちゃんとちいちゃんではなく、
文子さんとあなた。
私は誰になっているのだろう。
それを想像しながら、祖母の手を取り、目を見つめ、
その誰かになったつもりで、「うん、うん」と話を聴いた。
祖母の内に眠る真実と空想が混じっているのだろう。
その奥にある祖母そのひとを見たいと思った。
見つめていたら、涙がでてきた。
もっと見ていたい、触っていたいと思った。
わたしをちいちゃんとは呼ばなくても、
手を握っていると祖母はその手をまるで何かを渡すように握り、
「これ、持って帰って」と繰り返した。
これには思わず笑みがこぼれた。
祖父母宅に行くと、
帰り際にきまって祖母はあれやこれやと探してきて、
「これしかないけど、持って帰って」と言って、
お菓子をたんと持たせてくれた。
たまに、そのお菓子の賞味期限が切れていたのも、ご愛嬌。
華やかな笑顔で嬉しそうに何かを持たせてくれた。
変わらないなあと心底思った。
「ありがとう、持って帰るね」
空っぽの手を握って、そう繰り返した。
やわらかい、しわの多い、やせた、空っぽのその手から、
私は確かに何かをもらった。
あのときの祖母の手のあたたかさを思い起こせば、大丈夫だなと思える。
祖母の漂う記憶の中に、私がいてもいなくても。
もう十分に、あふれるほどにもらっている。
また、会いに行くよ。
贈られたことば
愛するとは行動すること。
エーリッヒ・フロムのこのことばを、先生は書いた。
高校を卒業するころ、中学の時の顧問の先生に「何か書いてください」と頼んだら、
返ってきたことば。
聖書の先生で、
たまに部活を見に来たと思ったら、
「これ安く買えたのよ」
「これいくらだと思う?」
「今から教会の誰々さんのところに行くの」
いつもご機嫌で、そんな日々の話が止まらない、関西のおば(あ)ちゃん。
寝ていて授業に遅れてきたこともあった、
よく言えばおおらかな先生。
その日、すでに中高を定年退職してた先生は、
相変わらずなんやかんやと忙しくご近所や教会のお世話をして、
帰り道の私と出会ったのだ。
先生はいつか、
夜寝る前に今まで出会った人一人一人の名前をあげて、
みんなのことをお祈りするの、とも言っていた。
先生が、本当に出会った人全員の名前をあげてお祈りしているかはわからない。
きっと、誰かの名前を2回呼んだり、
誰かが漏れたりしているに違いないと私はにらんでいる。
でも、先生が祈る気持ちも、他者のために動く気持ちも、
間違いなくそこにある。
このことばを思い出すと、改めて問い直すことができる。
私は何かのために行動できているか。
私は何のために行動するのか。
愛するとは行動すること。
そうつぶやいて、一歩を踏み出す。