あのときふりかえったこと

高校時代、選択現代文の最終課題は、

「志望理由動機書」を書くというものでした。

先生は、

自分が何をしたいと思っているのか、

何を大事に生きたいと思っているのか、

自分はどんな人間であるのか、

その時点での自分を見つめ直す機会をもってもらうことを主眼においているようで、

志望理由動機書をかくまでに様々な空白が用意されていました。

それを自分で埋めていくうちに志望理由動機書を書くヒントが得られる仕組みです。

 

その中に、

「自分の長所を3つ、短所を3つあげて、その理由を述べる」という欄がありました。

高校生という自己愛と自虐を持て余し、

「自分が等身大に映る鏡」をなかなか手にできない時期のことです。

多くの生徒は、その問いに悩んでいたように覚えています。

私も例にもれず、書きあぐねていました。

 

「長所、短所が見つからんひとは、ひっくり返してみ」

先生はそう言いました。

「長所と短所は裏返しなんや。

 たとえば、短所が『せっかち』のひとは頭の回転が早いんとちゃうか。

 『生真面目』のひとは真面目なんや。」

この具体例はそのままではないと思いますが、

そんな風に生徒を導いていました。

 

10代後半の私にとって、

漠然と目の前に想定される進路や将来といったものも、

それまでの自分や自分自身の価値観も、

初めて真剣に向き合うものでした。

初めての経験の探り探りだった感覚をうっすらと思い出します。

 

大事においてある原本を見れば、当時の私が何と書いたかがわかるのですが、

それを今掘り起こしたいとは思いません。

ただ、落ち込みそうになったとき、

調子に乗りそうになったとき、

どちらもこの先生の言葉を思い出します。

 

短所は長所。

長所は短所。

 

そうやって「自分」を把握して生きる、一つの策でもあったんだなと思います。

どうしたって、誰しも癖がある。

そんな自分と付き合っていく。

なかなかうまくならんなあと思いますが、

教えてもらったことの意味が後々わかること、しみることもあるんだなとも感じます。

 

今、あの課題を埋めたらどんな風になるだろう。

高校時代よりは等身大に映る鏡を手に入れられたと思う今だからこそ、

書いてみたいなと思います。

 

 

蛇足

あのとき志望理由動機書に書いた志望大学の志望学科を、

私は結局受験しませんでした。

親の反対もありましたが、受験するのに必要な準備も整っておらず、あまりに非現実的でした。

でも、そのときに書いた志望動機や内容は、

課題全体については忘れていた今の私と繋がっています。

多分、繋がっていなくても、そのときどきに考えて判断してたらいい(笑)

あのとき真剣に、手探りで取り組んだ感覚は、うっすらと覚えておきたいなと思いました。

 

 

 

書くこと

「お隣、いいですか?」って言ってみたら、新幹線で隣に知らない方が座っている時間が、楽になりました。

その一言しか交わさなくても、その一言を交わす大切さに気づかされました。

 

ブログを書き始めたきっかけのひとつは、「くらしのきほん」です。

『暮らしの手帖』や数々の著書でなじみのあった松浦弥太郎さんが、クックパッドに移籍してつくっているWebメディア。

 

このなかに、「夜のよみもの」という時間限定(夜8時から朝5時の間、読める)のコーナーがあり、

松浦さんが「泣きたくなったあなたへ」と題した文章を綴ってらっしゃるのですが、毎回、語りかけるような挨拶から始まります。

読者との距離、画面越し、文章越しの距離の取り方を、その時々に確かめながら書いていらっしゃるような出だしです。

定型文ではなく、それぞれの回で機微をことばにしてらして、ことばで仕事をするとはこういうことかと感じ入っています。

2016年2月29日現在、19まであるなかで、わたしは18の出だしが好きです。

 

紋切り型の挨拶や決めたルーティンをこなしていくことも、たまには必要かなと仕事を始めて思っていました。

でも、それでは面白くないな、ちゃんと時々に心も頭も動かしたいなと感じていました。

そんなとき、この文章が私のなかにあったスイッチをおし、「わたしのきほん」というサービスを開始することで、グググっと背中を押してきました。

(「わたしのきほん」は、120字で、「料理」や「恋愛」、「人生」などについての自分の基本を書くサービスです。まずは、自分のために。そのうちに、公開・シェアされる形で、いろんなひとの「きほん」も掲載されていくようです。)

 

最初の「わたしのきほん」を書こうと思ったら、120字に収まらなかった。

書きたいから書いています。

まずは自分のために。

 

 

kurashi-no-kihon.com

ほぐれる

ほぐそう、と思うのじゃなく、

ほぐれる。


鍼灸整体にて、

「ここがこうだからこうなのか。じゃあこうすれば・・・」と

からだの状態を改善する策を考えてたわたしに、

「考えすぎ」と笑った先生。


からだはほぐそうと思うんじゃなくてほぐれてくんだな、と思った次第です。


写真は、旅先で(友達が)見つけた、

ひそかにすきまに育つ緑。



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漂う、あふれる、記憶

病室の祖母は、わたしをお稽古のご友人だと思ったらしい。

何度も呼んだように、わたしを呼ぶことはなく、

「あなた」と話しかけた。

 

おばあちゃんとちいちゃんではなく、

文子さんとあなた。

私は誰になっているのだろう。

それを想像しながら、祖母の手を取り、目を見つめ、

その誰かになったつもりで、「うん、うん」と話を聴いた。

 

祖母の内に眠る真実と空想が混じっているのだろう。

その奥にある祖母そのひとを見たいと思った。

見つめていたら、涙がでてきた。

もっと見ていたい、触っていたいと思った。

 

わたしをちいちゃんとは呼ばなくても、

手を握っていると祖母はその手をまるで何かを渡すように握り、

「これ、持って帰って」と繰り返した。

これには思わず笑みがこぼれた。

祖父母宅に行くと、

帰り際にきまって祖母はあれやこれやと探してきて、

「これしかないけど、持って帰って」と言って、

お菓子をたんと持たせてくれた。

たまに、そのお菓子の賞味期限が切れていたのも、ご愛嬌。

華やかな笑顔で嬉しそうに何かを持たせてくれた。

 

変わらないなあと心底思った。

 

「ありがとう、持って帰るね」

空っぽの手を握って、そう繰り返した。

やわらかい、しわの多い、やせた、空っぽのその手から、

私は確かに何かをもらった。

 

あのときの祖母の手のあたたかさを思い起こせば、大丈夫だなと思える。

祖母の漂う記憶の中に、私がいてもいなくても。

もう十分に、あふれるほどにもらっている。

 

また、会いに行くよ。

贈られたことば

愛するとは行動すること。

 

エーリッヒ・フロムのこのことばを、先生は書いた。

高校を卒業するころ、中学の時の顧問の先生に「何か書いてください」と頼んだら、

返ってきたことば。

 

聖書の先生で、

たまに部活を見に来たと思ったら、

「これ安く買えたのよ」

「これいくらだと思う?」

「今から教会の誰々さんのところに行くの」

いつもご機嫌で、そんな日々の話が止まらない、関西のおば(あ)ちゃん。

寝ていて授業に遅れてきたこともあった、

よく言えばおおらかな先生。

 

その日、すでに中高を定年退職してた先生は、

相変わらずなんやかんやと忙しくご近所や教会のお世話をして、

帰り道の私と出会ったのだ。

 

先生はいつか、

夜寝る前に今まで出会った人一人一人の名前をあげて、

みんなのことをお祈りするの、とも言っていた。

 

先生が、本当に出会った人全員の名前をあげてお祈りしているかはわからない。

きっと、誰かの名前を2回呼んだり、

誰かが漏れたりしているに違いないと私はにらんでいる。

 

でも、先生が祈る気持ちも、他者のために動く気持ちも、

間違いなくそこにある。

 

このことばを思い出すと、改めて問い直すことができる。

私は何かのために行動できているか。

私は何のために行動するのか。

 

愛するとは行動すること。

そうつぶやいて、一歩を踏み出す。