あらゆるところで起こる比例

誰にどうぶつけたらいいかわからない感情を、

メールもラインもツイッターもない時代の人たちはどう消化していたのだろう。

ありきたりな物言いだけど、

携帯を見、メールやラインの宛先を探し、

個々の顔を思い浮かべては、

仕事忙しいよな、平日の晩だしな、今忙しいはずだし、と逡巡し、

結局携帯電話を離しては、ことばになれなかったモヤモヤを胸の内にかってしまう。

日記やメモも書いてみるものの、そのときことばにしたかったモヤモヤは、

不思議とうまくことばにならずに、

書かれたことばには何の色も重みも味もないつんつるてんなものばかり。

 

谷川俊太郎の『20億光年の孤独』を思い浮かべるのがならい。

みんな、孤独な夜を過ごしたんだ、と自分に言い聞かせる。

 

「繋がれた」ように思ってしまうからタチが悪いのだ。

メールや通信アプリなりがなければ。

怖い親の出てくる電話くらいしかなければ。

でも何回かに1回は送るメッセージ、何回かに1回はかける電話に

光を見いだすこともある。

 

孤独、孤独、孤独。

でも、きっとその孤独をどう乗り越えるかを考えながらしか、

生きていけない。

マイナスに考えすぎる前に寝る。

案外、これが最強の答えだったり・・・するのかな。

 

モヤモヤしたことの中身を書きたかったのに、

「流れ」に引っ張られると、文章は思ってもみなかった方に向かう。

モヤモヤに少しは構わないと、あとで化け物になって出てくるので、

少しモヤモヤに構って、寝る。