漂う、あふれる、記憶
病室の祖母は、わたしをお稽古のご友人だと思ったらしい。
何度も呼んだように、わたしを呼ぶことはなく、
「あなた」と話しかけた。
おばあちゃんとちいちゃんではなく、
文子さんとあなた。
私は誰になっているのだろう。
それを想像しながら、祖母の手を取り、目を見つめ、
その誰かになったつもりで、「うん、うん」と話を聴いた。
祖母の内に眠る真実と空想が混じっているのだろう。
その奥にある祖母そのひとを見たいと思った。
見つめていたら、涙がでてきた。
もっと見ていたい、触っていたいと思った。
わたしをちいちゃんとは呼ばなくても、
手を握っていると祖母はその手をまるで何かを渡すように握り、
「これ、持って帰って」と繰り返した。
これには思わず笑みがこぼれた。
祖父母宅に行くと、
帰り際にきまって祖母はあれやこれやと探してきて、
「これしかないけど、持って帰って」と言って、
お菓子をたんと持たせてくれた。
たまに、そのお菓子の賞味期限が切れていたのも、ご愛嬌。
華やかな笑顔で嬉しそうに何かを持たせてくれた。
変わらないなあと心底思った。
「ありがとう、持って帰るね」
空っぽの手を握って、そう繰り返した。
やわらかい、しわの多い、やせた、空っぽのその手から、
私は確かに何かをもらった。
あのときの祖母の手のあたたかさを思い起こせば、大丈夫だなと思える。
祖母の漂う記憶の中に、私がいてもいなくても。
もう十分に、あふれるほどにもらっている。
また、会いに行くよ。